月曜日休んで旅に出る

新卒3年目のるゆたが脱社畜、脱非モテを目指して理想の生き方を追求する。

初心者は読むべき恋愛工学のバイブル「僕は愛を証明しようと思う。」を読んで、恋愛について考え直した。

(※書評ではないです。ネタバレもありません。)

 

「僕は愛を証明しようと思う。」を読んで、恋愛ってなんだっけ?って思ったので、自分なりに男のモテについて考え直した。

 

目次 

 

 

 

 多くの人にとって恋愛は人生の大部分を占める。

だから、恋愛で成功することは、人生で成功することに等しい。

 

多様化した現代社会の中では、「人生の目的は人それぞれ違っていて良いんだ。」、「いろいろな生き方があっていいよね。」だとか頻繁に言われている。

こうした言葉は、モテない男性や、婚期を逃してしまった女性について語るときに特によく見かけるような気がする。

 

多様性を認めるのは大事だ。それはとても大事。

だがしかし、それが大事なことから目を背ける言い訳になっていてはダメだ。

 

 人類という大きな枠で考えると、人の目標は「優秀な配偶者を見つけて、自分の遺伝子を後世に残すこと」に収斂される。

 (自分の遺伝子を後世に残すということを軽視するような遺伝子は、はるか昔に死に絶えていて、今の時代に残っていない。)

 

だから、優秀な配偶者(彼氏や彼女)と幸せな日々を過ごせれば、人は幸せだと感じるように設計されている。

たまの休みに恋人と温泉旅行に行く、記念日を一緒に祝うといった些細なことで満足するようにできている。

逆にいうと、 それができないモテない人たち(非モテ)の多くはそれができないという現実をねじ曲げてしまいがちだ。

 

大切なのは、モテない現実を受け止めて非モテを脱出するために戦うということだ。

 

ちなみに聖帝サウザーさんのツイートにも同じようなことが書いてある。

 

非モテは病床からむくっと立ち上がり、非モテという重い病(ハンデ)を負いながら、戦わないといけない。

 

コンディション最悪な状態で、完全アウェイで格上相手に勝ち点3を取りに行くようなものだ。

 

男と女の配偶者獲得競争のスキームは違う。

そもそも、男女では配偶者獲得競争のスキームが全く違う。

 

当然、男と女では、性別ごとに求められる役割は違うわけだから、男と女の配偶者獲得競争のスキームは全く異なる。

 

男はより多くの女との繋がりを持ちたい。

一方で、女はダメな男との繋がりは一切持たず優秀な男とだけ繋がりを持ちたい。

 

それゆえに、恋愛市場は一部のモテ男が女を独占する構造になる。

 

悲しいかな、男には2種類あって、一部のモテ男とその他圧倒的多数の非モテに分かれてしまう。

 

「僕は愛を証明しようと思う。」に代表される恋愛工学では、生物学、心理学、統計学などの様々な学問を用いて、(主に男側の目線で)「恋愛でうまく立ち回って成功する方法」を紐解いていく。

 

恋愛工学は、一部のモテ男だけでなく、その他圧倒的多数の非モテにもチャンスを与えてくれる神の恵みのようなものだ。

 

 

モテ=ヒットレシオ×試行回数 

「僕は愛を証明しようと思う。」では、男のモテは次の式で定義されている。

  

モテ=ヒットレシオ×試行回数

 

ヒットレシオは、女の子とアポ(デート)してからゴールまで行く確率、

試行回数は、(主にナンパによって)出会いを増やして、アポ(デート)をとってゴールを目指す回数。 

 

 

解決策は、数打ちゃ当たる。

つまり、このバイブルは読むだけでは全く意味をなさない。

 

あぁなるほどなで終わってしまったら、試行回数が0のままだ。

(0にいくら掛け算しても0のままだ。)

 

試行回数を積み重ねることで、ヒットレシオも改善し、指数関数的にモテてくるようになる。

指数関数にモテるということは、逆にいうと最初はなかなかうまくいかないということも意味している。

 

愚直な努力をし続けることでしか活路は見出せない。

 

他の本にも全般的に言えることだが、行動が伴ってこそ内容が活きるのである。

 

唯一の解決方法は、 非モテは病気だ。」という現実から目を背けずに、女の子に声をかけ続け、アポを取り付け、ゴールにシュートすること

 

「諦めたら、 試合終了だ。」

 

そう信じて、今日も声かけを頑張ろう。